バカかしこ

人生かしこく生きたい バカ主婦のブログ

何のために行ったのか?後期高齢の母と出雲大社へ

かし子の姉の長女から理解できないメールが届いた。メールで数回やり取りをして、家族旅行に行く内容だと理解出来た。

母と長女の会話で「出雲大社の縁結び」の話題になったそうだ。

かし子の兄は50歳になったが、良いご縁に恵まれず現在も独身。今の時代、独身でもいいと思うが兄と一緒に暮らしている母は「自分が死んだら兄が一人になるのが気がかり」といつも心配している。誕生日を祝うことを知らない母は、兄が50歳になっていたことに驚き、動ける間に出雲大社へご縁があるようにお参りしたいと言い出したそうだ。支払いは全て母だったので、かし子も便乗することに。メンバーは母、(姉)長女、(姉次女)姪っ子、かし子の4人。

長女に日程を確認すると「3月中に行くから。4月は時間がないし・・・」と返事。「え~、あと2週間しかないじゃん。春休みでホテルが空いているのか心配、そして何故この日程じゃないとダメ?今年のGWは10連休だし、次女は仕事で3月行けないから別の日程にしたら?」と連絡したが、母がノリノリで止められないと・・・。長女もわーってなっているようで「どうしよう。どうしよう」ばかり。まぁ、宿泊先が決まれば車で行けるので、ホテルの確保を長女にお願いし、出雲大社周辺の地理や場所等は、かし子が図書館でガイド本を借りてきた。

ちょうど実家に連絡する機会があったので、かし子が母に確認したら「車じゃない。新幹線で行く」とのこと。おいおい長女は知っているのか?と不安になり連絡すると「え~新幹線も手配しないといけないね。どうしよう」と返事が。長女よ、どうしようだけで2日過ぎてるぜ。こりゃダメだ。長女の参考になればと思い旅行会社にパンフレットを取りに行った。メールでやり取りをしていると、あれもいい、ここもいいと長女の返事がやってくる。何だろう?嫌な予感がした。予感は的中!「かし子、手配お願い!」やっぱり、そうだよな・・・ "(-""-)"

言い出しのくせに、全く頼りにならない長女に呆れた。仕方ないので、翌日かし子が旅行会社に行くことに。すると長女の子供の知り合いが、旅行会社に勤務らしく手配してくれるかもしれないと連絡。なら早くお友達に手配してもらったら良かったじゃん。それから2日経過し日程表が届いた。長女は日程表通りの出雲大社~松江でお願いすると連絡がきたが、高齢の母は運動不足で足がヨロヨロ。ガイド本を見ると距離がありすぎ。歩くのは無理だということを長女に連絡した。長女は最後まで「大丈夫じゃない?車いす借りれば」と・・・他人事だ。今回は出雲大社でお参りすることが一番の目的ということで、長女を納得させた。

バタバタしながらも、出雲の出発日。博多から新幹線に乗り、岡山で特急やくもに乗り換え。乗り換え時間がかなり短い。こんな時、母がトイレに行きたいと言い出す。長女に伝えると「時間ないから、電車の中でして!!」と厳しい一言。長女が駅員さんに電車のホームを確認。長女の行く方向に、ヨロヨロ歩きの母を誘導しながらついて行った。乗ったのはいいが「この電車で合ってるの?」と長女が言い始め、指定席を探し始めるが見当たらない。母はトイレを見つけ「トイレする」といい、長女は席を探せないまま「弁当買ってくる」と言ってホームに出て行った。一緒についてきた姪っ子も電車に乗り慣れてないので状況が分かってない。母を置き去りに出来ないので、姪っ子にお願いし車輌番号を確認してもらった。やっぱり、かし子達は自由席に乗っていた。弁当を買って戻ってきた長女に車輌が違うことを伝えたが、分かっていないようだった。車輌を乗り換え、自分たちの席を発見し出雲へ出発。長女に旅行は頼れないと思った。

無事に出雲市駅に到着しバスに乗り換え旅館へ。6時間ぐらいの長旅だった。そして念願の出雲大社へ。しかし母のヨロヨロが半端ない。松の参道が長かったらしく何回も休憩。長女が車いすを借りると何度も言うが、母が切れ気味で「借りんでいい!」と言い返す。それを繰り返しながら、やっと参拝。みんなで兄の幸せを願った。帰りもヨロヨロと歩く母。母を旅館まで送り届け、かし子達は稲佐の浜へ夕日を見に行った。綺麗な夕日で感動。
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満喫した後、お土産買うぞ~!!と3人張り切ってたら、すでに店が閉まっている。出雲の辺りは17時?18時頃に閉まるらしい。全く知らなかった(~_~;) 明日出発まで時間があるから、明日ゆっくり買おうぜ!!と盛り上がって旅館に帰り一日が終わった。

翌朝、朝食会場に行こうとしたら、母が「腰が痛くて歩けない。きりきりズキズキする」と言い始め、めまいを起こし嘔吐した。かなりビビった。「しばらく休むと落ち着くから、先に行って食事して」と言われたので、長女とどうするか話合った。母は前に心臓手術を受けている。そして高血圧。原因か分からないし知らない土地。症状が落ち着いたら歩けるのか?帰り大丈夫?JRに迷惑かけない?と不安だらけになってしまった。かし子姉妹は翌日まで休みを取っていたので、状況次第ではここに残ることに。しかし母が体調が良くなっても、帰りのJRで乗り換えするのは無理と判断。前から次女の旦那さんが休みだというのを聞いていたので、福岡から出雲大社まで車で迎えに来てもらうしかないと決めた。

食事を終え、母の様子を確認したが「腰が痛くて歩けない、めまいがする。近くの病院で痛み止めを打ってもらえば治る」と言ってるが原因が分からないし、怖かったので救急車を呼ぶことにした。母は抵抗したが旅館に呼んでもらい、すぐに救急車が到着。隊員の方に朝の状況を説明しながら部屋に向かっていると、母が部屋から荷物を抱え歩いてやってきた。そして隊員の方に「よろしくお願いします」と言って近寄ってきたのだ。すると隊員の方が、かし子の方を向き「歩けないって言われてましたよね?」と。「嘘ついたな、こいついら・・・」と思われても仕方ない光景だった。

「部屋に戻って下さい」と隊員の方から言われても、聞こえてないのか母は部屋に戻ろうとせず先に行こうとしている。数回言われやっと部屋に戻り、隊員さんが体調の状況などを確認し始めた。「今日は何月何日ですか?」から質問が始まったが思い出せず、しどろもどろ。かし子が日にちを言っても意味がないので様子をじっと見ていた。しかし母は質問し対して全く違う回答をしている。何回も違う回答をしていたので、隊員の方から「会話の受け答えは、いつもきちんと出来ますか?」とかし子に質問してきた。母は気が動転しているのか分からないが、冷静に人の話を聞くことができてない。母自身がわーっとなり、時々隊員の方に強い口調で答えたりしている。

言葉で上手く表現できないけど、なんとなく分かったような気がした。母は昔から、こんな感じの人だったんだ。子供の時、叱られ叩かれていた感情を思い出した。

「持病もあるので病院に運びます」と言っていただき、母は総合病へ行くことに。知らない土地で不安があったのでホッとした。長女が付き添いで病院に行き、かし子達はJRキャンセルの手続きに行くので後から合流することに。病院に着いた姉から、持病があるので念の為CTを撮るという連絡が。かし子達が合流した時も、まだ検査結果待ち状態。診断結果を説明しますと案内され、先生から「手術になるので、数日は帰れません」えっ、3人呆然。仕方ないので実家に連絡していると「専門の医師に再度確認してもらうので連絡待ってください」と先生から話しがあり再度診断待ちに。専門の医師の結果は「新たにできた症状ではないので、容態が落ち着いたら帰れます」と。無事で良かった~と一安心。

しばらくして母と面会。かし子が母に「呪われてるんよ」と言ったら、長女も「私たちをバシバシ叩いてたから、バチがあたったんよ」と言い始めた。すると急に母が嘔吐した・・・。さすがに旅館には帰れないと母も感じたらしく1日入院することに。気がつけばお昼になり、郷土料理も食べれずコンビニで昼食。姪っ子も付き合っているがウンザリ気味。その後、入院手続きが始まり入院に必要な物を買いに行ったりし、全てが終わったのは16時。疲れ気味での帰り道、出雲大社のお土産店が開いていた!閉店まで30分しかない!3人、何も話さず買いたいお土産を買いまくった。なんとか出雲らしい買い物ができて嬉しかったが、違う意味で長い一日だった。

次の日、病院へ次女の旦那さんと甥っ子が福岡から7時間かけて車で迎えに来てくれた。痛み止めが効かず腰の痛みが頭まで走るようだったが昼に退院。母も帰れると安心したようで車で爆睡し始めた。出雲と別れを告げ福岡へ。出雲の方は、皆さん優しくて穏やかな方ばかりだった。今度は出雲や松江を一人旅したいな~と思った時間だった。しばらく走ってトイレ休憩。母もトイレに行くといい一人で歩いていった。

えっ何??全員が驚いた。病院を出る時は歩けなくて車いすで移動したのに、一人で歩いてんじゃん(-"-) お義理兄さんも「抱えないといけないと思ってたから・・・」と拍子抜け。おまけに、お腹が空いたらしくパンとちくわを買って食べ始め「痛み止めが効いてきた」と言いケロッとしている。イラっときたけど、これで良かったのかもしれない。

7時間かかり無事に、佐賀の実家に到着。お義理兄さんも任務が終わり帰っていった。その後、兄から小言を言われ母も若干反省していたようだったが、今度は兄の話が止まらず2日間あったことを母に話始めた。なんか二人を見ていたら親子というより、恋人同士のような会話。かし子「この二人、結婚したらいいじゃん」と思ってしまった。会話が終わると、母が休もうとせず家事をやり始め出した。イラッときたかし子が、母を叱ったら「どうあるか!!(方言で意味は「関係ない」かな?)」と逆切れ気味に言われ何処か行ってしまった。たくさんの人に助けてもらったのに呆れた。そして兄から「なんでこんな時に行った?別の日でもいいやん。」と。おいおい、お前が結婚のご縁がないから心配して行ったんじゃねぇーか!!"(-""-)"と言い返してやりたかった。「親の気持ち子知らず」とはこのことだ。

なんか、母を見ていたら昔の自分を見ているようだった。親の言うことは聞かず人の心配がウザくて、迷惑もかけずに生きているのに、色々言われるのがムカついてプイッとしていた。今、母がそんな気持ちだったら、かし子が母に対してずっと感じていたこの気持ちを分かってくれているんだろうか? なんか複雑な気持ちになった。

次の日、姪っ子と長女は「ばあちゃんと旅行にはいかない」と。病院に連れて行った次女から「すたすた歩いているよ。本当に痛くて歩けんかったと?」と連絡がやってきた。一体、激痛が走ったあの腰痛は何が原因だったのか?

そして何のために?マジで何のために??私たちは出雲大社に行ったのか???目的を忘れてしまった旅行だった。