バカかしこ

人生かしこく生きたい バカ主婦のブログ

年老いた母を見て、家族を思い返してみる


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みなさん、ご両親との関係はどうですか? かし子は母といい関係ではありませんが、母も高齢になったため、よそ様から普通に見える程度な関係でやっています。

かし子の家族構成は父、母、長女(6歳違い)、兄(4歳違い)、次女(2歳違い)、三女(かし子)。かし子が20歳過ぎまで、祖父母も同居していたので8人の大家族。実家は佐賀県で昔から(現在も兄が後を継いで)農業をやってます。幼いころから家の手伝いは当たり前、昔ながらの子供も働き手という環境で育ってきました。学校から帰ってきたら家の手伝い(野菜の収穫、出荷準備、パック詰めなど)、土日も畑の手伝い。友達の家に遊びに行くと言ったら母に叱られ、反抗したら何度も叩かれるという状況。

特に母はいつも「忙しい、忙しい」と言って、子供たちの話なんて全く聞いてもくれなかったし、父も私たちにも興味も持っていなかった。祖父母も明治生まれで厳しい人。常に大人達に叱られてばっかりで、毎日が嫌だった記憶しかないし、どうやって両親とコミュニケーションをとったらいいのか全く分からなかった。

今でも強烈に記憶に残っているのが、小学校低学年の頃、国語の宿題で音読があり、感想を書いてもらわないといけなかったので、勇気を出して父にお願いした。面倒臭そうにテレビを見ながら音読を聞き、父はコメントを書いてくれた。褒め言葉を期待してたけど「下手くそでした」と書かれてあった。幼いながら生き方を全否定されている気がして呆然とした。母も「あれもこれもダメダメ」と言って怒ってばっかりでウンザリ。

家族団らんや家族旅行やレジャー、誕生日もクリスマスも何にもなかった。こんな関係だったので、両親や祖父母とは家族だけど近寄りがたい関係。まるで他人のようだった。

両親や祖父母に、いろいろ言っても無駄だったと感じていたので、ずーっと黙って大人しくしていた幼少期でしたね。親に甘えることなんて出来なかったから、自分でやるしかないと考えてた・・・。けどね~、やっぱり末っ子。姉や兄に比べたらかなり放置気味に育てられたので、ぐうたらで育ってました。

かし子が高校受験の時、看護師になりたくて私立を受験し合格!しかし母から経済的に苦しく学校に行かせることができないと言われ断念。こうなったら早くお金を稼ぐ!と商業高校に行き、なんとか福岡の会社に就職。福岡で一人暮らしを母に言ってみると、怒られまくって話にならず・・・。振り返れば奨学金を借りたり、家を飛び出して行けば良かったのに、行動せずに親の言う通りに過ごしてしまった。自分の岐路をしっかり決めれなかった。ここが、ぐうたらに育った結果(-_-)

その後、かし子に初めて彼氏ができ、彼の家に入り浸り。佐賀の実家に帰らず家出状態に。その時期から両親、さらに姉や兄との関係もギクシャクし始め、かし子一人だけ孤立。

姉兄より母は心配していると言ってたが、時々かし子が帰ってくると「こっそり帰ってきやがって」と言われ、堂々と帰っても小言を言われた。一度だけ母が置手紙してたけど「バカバカバカ、かし子のバカ」の書き出しが、アホらしくて読む気になれず捨てた。ついに我慢の限界になり一人暮らし開始。なんでもっと早く出て行かなかったんだろうと痛感。かし子がマジぐうたらに育った結果だった。

その後、母が倒れ病院に駆け付けた時、かし子に向って母は「お前は親不孝者」と、この一言だけだった。この言葉を聞いても、母に対して何の思いも感情も湧かなかった。

両親には贅沢ではないけど不自由無く育ててもらったのは分かっている。親に何もしてないから親不孝かもしれないが、私も子供のころ何もしてもらってない。常に母の言うことが一番!という考えが大っ嫌いで、いつも叱りバシバシ叩いてたという記憶しかない。大人になってもズーっとそれしか残ってない。正直それしかなかった・・・。

それから母も回復。その後、彼と結婚まで進み、かし子の両親に挨拶へ。了承してもらったが彼が帰った後、母から「あの人、嫌い」と言われた。

その後、入籍前に彼が無職になっていたこと、多額の借金、その他いろいろなことが発覚。両親に別れた理由は言えないので、彼と結婚ができないこと、違う場所へ引っ越すことを報告。父は黙って聞いてくれたが、母は「ほらね~、お母さん、あの人嫌いと言ったやろ?」と。この言葉を聞いた時、悔しかったが親のいう通りだったのかもしれないと感じた。そして母より、父に内緒で引越費用を手渡された。一人での帰り道、手渡された封筒を見たら複雑な感情が湧き、涙が出てしまった。

それから数年、実家にも帰れないので、かし子が婚活に励んでいたら、姉から電話があり「お父さん、末期がんだって。会いにきて」と。数年ぶりに実家に帰り、久しぶり家族や親戚の人と話した。叔父さんからも遺産目当てと思われても構わないから、誰かと結婚しなさい!!と説教されたり・・・。もう、かし子の親孝行は結婚しかないようだった。

それから結婚相談所で知り合った現在の旦那T氏と結婚。何とか父に親孝行ができた。結婚式の数日前、母と話しをしてたら急に「お前は看護師になっていたら人を殺していた。あの時の男はダメなやつ」と、いきなり母が昔の話を始めだし暴言と意味不明な話が止まらなくなった。思い出したくないことをガンガン言われので、かし子ムカつき過ぎて体調の悪い父にチクリに行った。父から叱られていた母から「旦那Tさんの事ばかり話すから寂しかった」と。正直意味がわからなかった。母は娘の幸せは嫌いで、祝ってもくれないんだと思った。更に母が嫌いになった。

披露宴のとき、母から「手の掛からない子でした」とコメントがあったが、何か言うと叩かれるから言えなかったんだよ!!って逆切れしてやりたかった。父は途中、体調が悪くなってしまったが一番良い結婚式だったと言ってくれたのが嬉しかった。父に見せれて良かった。しばらくして父の日。手ぶらで実家に帰ったら、父から「かし子が結婚したら父の日のプレゼントくれると思ってた」と言われ驚いた。結婚したらプレゼントしてくれると期待していたらしい。来年は渡すと言って何も渡さなかった。数か月後、父は亡くなった。このことは、本当に今でも後悔している。

かし子は父のおかげで、実家に戻ることができたと思っている。父に親孝行が出来なかったことが申し訳なくて、今は時々、実家に帰って手伝いをしているが、正直、母が高齢だからではなく、父への罪滅ぼしのほうが大きい。

ちょっと前から高齢の母は生きがいを見つけ、よもぎ餅を作り産直や朝市などで販売している。大量の注文が入った時に手伝いをしているが、何かのキッカケで「かし子から見て、どんなお母さんだった」という話になった。速攻「鬼」と答えた。母は、えーっていう顔をしていたが、かし子が更に「鬼、鬼、鬼しかない!!姉ちゃんや兄ちゃんに聞いても同じこと言うと思うよ」と答えた。「そうね~。子供たちが~」と母が話始めたが、かし子の内心は「よく言うわ」と呆れた。かし子から見ると、姉2人は普通に良い子。兄は思春期の時、少し道をそれたけど今は超真面目。かし子は、皆から何考えてるかわからないと言われてます。

このことを長女と兄に話したら、二人が「小さい頃、毎日毎日バシバシ叩かれて、文句言われてたもんね。虐待やん。今やったら事件になってるって」「ばあちゃんに小言言われてたから、子供に八つ当たりしてたんよ」と次から次へ話が始まった。そして兄は「あの時、家でも学校でも怒られてばっかりで帰る場所が無かった。毎日、帰りたくないって思ってた。あんなに叩かれ叱られたことに、耐えた自分が凄いと思う。自分が偉いと思う」と言い始めた。初めて聞いた話だった。かし子は幼過ぎたので、その時期に二人が大変な思いをしていたことに全く気が付かなかった。そして長女が「かし子が大人になっての反抗期。あれが一番怖かった」と発言。反抗期か・・・。自立と思ってくれなかったのね・・・と、ちょっとガッカリ(*_*;

これがキッカケになってしまったのか、二人から「バシバシ叩かれてた」「八つ当たりされてた」「遊びにも行けなかった」という言葉を、母との会話でよく聞くようになった。しまった・・・姉と兄のダークな部分が、ちょいちょい出はじめてしまっている。かし子は文句言い返したり好き勝ってにしてたけど、二人は今までずーっと我慢してたんだろうな・・・。話をしていると、なんとも言えない気持ちにさせられる。

しかし母は「そお~??」と言い、何も気にしてない様子で、よもぎ餅をせっせと作っている。この姿見て思ったこと。かし子、やっぱり母のこと好きなれないかも・・・。