バカかしこ

人生かしこく生きたい バカ主婦のブログ

コロナのニュースを見て、かし子が感じたこと。


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 皆さま、お家で楽しく過ごされてますか?? かし子夫婦には子供がいないので、今のところ二人とも働きに出ています。これが正解なのでしょうか・・・。

かし子が住んでいる福岡郊外でも、残念なことにコロナ感染者数が増えています。先週、いつものスーパーに買い物に行ったら従業員の方が手袋装着でレジをされてました。この前までマスクだけだったのに・・・。今まで感じたことは無かったのですが、手袋装着している姿を見たら、お互い命の危険が迫ってもおかしくない状態なんだな・・・と痛感しました。マスクが買えないからという理由で、かし子がマスクしてないのっておかしくないか??感染を増やさないためには、自分もできることを始めなければいかん!!と感じ、今週から手作りマスクを着用開始しました。付け心地はいいのですが内側のガーゼタオルを多めにして作ったせいなのか、感染を避けるように早歩きで買い物していたら息が上がってしまいました。運動不足ですね(~_~;) 高地トレーニングは経験したことないのですが、こんな感じなのかもしれません(妄想)。手作りマスクのお陰で心肺機能強化できそうです('◇')ゞ 

先週末のニュースで家族連れで買い出しされている姿が、何度もテレビで放送されなんとも言えない気持ちになりました。かし子が感じたのは、この方たちは近い身内で亡くなった方がいないご家族で、近隣のご高齢の方もお元気なんだろうなと思いました。人が亡くなるという、悲しさや寂しさを知らない。健康の大切さを感じてないんでしょうね。

かし子は祖父母、両親、子供4人の8人家族で暮らしていたので、かし子が20代の時、祖父母が亡くなり見送りました。明治生まれの祖父母だったので厳しく、可愛がってもらった記憶があまりなかったし、二人共長生きだったので亡くなったんだな・・・と思うだけでした。その後は、かし子の親戚も皆さん元気で過ごされていたので、人が亡くなるというのはしばらくありませんでした。

が、かし子の父親が末期癌と判明。1年近くの闘病生活後、亡くなりました。癌が分かってから父は、かし子が実家に帰ると「遠いところ来てくれて、ありがとうな」と毎回毎回言ってくれました。一緒に暮らしていた時は「ありがとう」とか全く言ってくれなかったくせに!!と心の中で思いましたが、大人になってから言われると何か恥ずかしような、照れくさいような気持ちになりながらも、かし子も嬉しくなったのを覚えてます。父は私たちの前では陽気に振舞っていましたが、癌告知をされた時「俺は死んでしまうんか」と言い、母の前でわんわん泣いていたそうです。残りの人生のカウントダウンが始まり、言葉は悪いですが死に向かっていく生活。かし子がこの立場だったら、冷静に向き合えるのか、死を受け入れられるのか・・・。

 しかし父は「どうせ死ぬなら、少しでも長生きしたい」という前向き発言。開発中の新薬の投与を受け入れました。しばらく薬の効果があったのですが、末期癌が完治するまでの効果は残念ながらありませんでした。この薬で半年長生きできたと先生がおっしゃてたそうです。そのお陰で、かし子の結婚式も父が出席できたので良かったです。父も体の調子がいい時には積極的に行動し、お友達に会ったり、兄弟を訪ねたりしていたようです。その後、父は調子が悪くなり入院。兄が言ってたのですが、父は痛みに耐えられず「先生、両腕を切って下さい」と頼んだそうです。

入院中、かし子が訪ねた時も父は「ありがとうな」と言ってくれました。何もできないかし子達。体をさすってやるしか出来ませんでした。そんな時に巡回にきた看護師さんやリハビリの方たちが、父の状態を毎回話してくれて「今日は皆さん来てるから調子イイですね」と言ってくれ、私たちも励ましてくれてました。かし子たちが見ても、父は痩せ意識もうろうしている状態。でも病院の方たちは最善を尽くしてくれてました。食事の時に、食事状態の父にサポートをされていたので、かし子が「もう食べれそうにないのでいいですよ」と声をかけたら、「喉に通さないと気道が細くなり呼吸ができなくなるんですよ」と教えてくれました。何も知らなかったかし子。反省しました。この時、どんな状態でも医療現場では最善を尽くしてくれているんだと痛感しました。しかし入院してから2週間、父は73歳で亡くなってしまいましたが、父の最期は親戚・家族全員で看取ることができました。みんな最期に「ありがとう」と父に言えたのはとても良かったです。

コロナウイルス志村けんさんが亡くなったニュースを見た時、お兄様が最後も看取れず遺骨を持ってお話されている姿を見て、とてもショックで悲しくなりました。ウイルスに感染したら誰にも会えず、顔も見ることもできず、火葬にも立ち会えず、やっと会えたのは骨になった状態。かし子の父の時を思い出すと、こんなお別れだったら悲しすぎます。大切な家族、大好きな人とのお別れがこんな状態になるんですよ。この現状、皆さんはどう思いますか?

そんなかし子も、父が闘病中に子宮筋腫が肥大化してしまい摘出手術を受けることなりました。日程を報告していたら、父から「お前も大変やな。手術頑張れ」と逆に心配かけてしまいました。父が亡くなった後、かし子も手術。術後は夜中でも1時間ごとに看護師さんがチェックにきてくれました。かし子が意識がもうろうとしているなか、みなさんが定期的にきているのはわかりました。熱がなかなか下がらなかった時は氷枕を用意してくれたり、薬を用意してくれたり。術後は体という体に管がくっついて、管を見るたびに悲しくなってましたが、退院するまでは看護師さんのサポートなくては無理でした。術後数日はベットから動けなかったけど、点滴外れたら病内ウロウロがかし子の日課。看護師さんの前を通ると常に何かをされてます。14日入院してましたが、担当の先生は毎日様子を見に来てくれました。毎日来てくれるのは嬉しいけど、病院がお休みの時でも来てくれたのが心配になり「先生、お休みあるんですか?」と聞いてみたら「自分の患者さんが気になるんだよね~」と。本当、入院中はリハビリの方、掃除の方、食事の配膳の方などなど、皆さんによくしてもらえたなと今でも感じています。

そんな医療現場が、現在崩壊しているというニュースを毎日見ます。こんなん最初からシュミレーションできたことやん!!国はどうにかしてくれないのか!!と怒りがこみ上げてきます。防護服が足りず雨合羽やごみ袋を使っていたり、院内で働いているかたは感染のリスクを減らすために家に帰らず車で寝泊り。コロナになった人が全て悪いというわけではありませんが、リスクを減らすことは取り組めたと思います。悲しいことに、かし子ができることなんて不要不急の外出しないということしかできません。

今週、いつものスーパーに行ったら透明のビニールでレジを仕切ってありました。先週とは違う、普通の日常じゃない光景。かし子がパートしている居酒屋も休業延長、中国料理もお店を存続するために、お昼のお弁当販売頑張ってます。飲食店やサービス業が苦境に立たされてますが、早くウイルスの感染を終息させることが一番の解決法。感染が長引けば長引くほどお店や会社は潰れてしまうんです。最近の情報番組も色々言ってますが、言うのは誰でもできます。おまけに内容がくだらない。どうにかしたいなら、直接国会の先生達に言いに行けよ。法律変えてやる!!な根性で訴えてやれよ。芸能人全員で寄付しろよ!!と思う気持ちが高まり過ぎて、最近NHKしか見てません。こんな状況の時は必要とする情報だけで十分でございます。

日本の感染終息のために国の要請を聞くしかないんだなと思うので、自分がやらないといけないこと、出来ることを日々淡々とこなし毎日過ごしていくだけです。

いろんな意味で生きるか死ぬか・・・。

40代後半のかし子。人生、考えさせられます。